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CSR
経営・倫理勉強会CSRセミナー
日時: 5月 29日 15時 00分 ~ 18時 30分
経営・倫理勉強会CSRセミナー開催
5月29日(土)iプラザにて、(社)磐田青年会議所は、
経営開発・国際委員会担当の元、CSRセミナーを開催致しました。
講師として、日本JC公式トレーナーである、山田トレーナーを含む3名をお招き致しました。
ちなみに、CSRとは企業の社会的責任という意味です。
セミナーでは約6人の3つのチームに分かれ、CSR原則や、責任、コミットメント等を講義形式や、
ディスカッション形式を通して学び、チーム別のディス カッションでは、3P(人(PEOPLE)、
地球(PLANET)、繁栄(PROSPERITY)の頭文字)の領域について話し合い、
各チーム毎に発表い たしました。
セミナーの最後には、今後一カ月、社会的責任として
自分自身で行う事を皆の前で宣言を致しました。
このセミナーの目標は、企業の社会的責任に関する理解を深め、
自分自身の行動の影響を認識し、自分自身の影響圏で行動を実行する力を付ける事が目標 でした。
今後一カ月は、JCメンバー各々が宣言した事を実践します。
明るい豊かなまちづくりに向けて有意義なセミナーでした。
尚、当日は、磐田JCの姉妹JCである、駒ヶ根JCの方々を初め他
LOMのメンバーを多数参加して頂き、大変活気がありました。
2010-05-29
企業倫理エッセイ 第2回 企業倫理の歴史をさらっと見てみよう!
経営開発・国際委員会 「企業倫理エッセイ」
第2回 企業倫理の歴史をさらっと見てみよう!
まいどっ! エッセイもどきの駄文の第2回です。前回は結構多くの方に読んでいただいたようで、本当にありがとうございます。
まあ、よく言われるのは「長ぇ~よ!」という感想なんですが、そこは我慢していただいて、「O監事のしゃべりと高木の文章は長い!」というのを共通認識として持っていただければと思ったりします。(うん、O監事は完全にとばっちりですね。)
さて、今回は「企業倫理の歴史」をテーマにお話させていただきます。
「企業倫理の歴史」は浅い?
さて、企業倫理の歴史ということなんですが、現代的な企業倫理の成立は意外に最近のことだと言われています。「現代的」というのは、企業統治(利害関係者への説明責任、経営・財務状況の透明性の確保など)や法令順守、持続可能社会を実現するための自然環境・社会環境・人権問題などへの取り組みを指していて、現代においてCSR(企業の社会的責任)などと呼ばれています。
学問分野としては、1980年代に確立された新しい分野で、一般的には21世紀に入って、アメリカのエンロンやワールドコム等の不正行為、日本の雪印等の不祥事をきっかけにして、また環境問題への意識の高まりななども受けて、大きくクローズアップされるようになって来ました。そういった意味では、企業倫理というのは非常に新しい認識なんですね。
ただ、一方では我々が仕事をする上において、普通に認識している企業というか商売の倫理というのは、遠い昔から脈々と受け継がれているものがあると思います。たとえば、江戸商人の「職務に由り自己の利益を図るべからず」「我営業は信用を重じ、確実を旨とし…」(住友家家訓)や近江商人の「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」などはすっきりと納得できる内容ですね。商売を行うにおいて、商売相手や世間の信用を得ることが大切であることは今も昔も変わりないことがよく分かります。
「利潤を得ること」への恐れ
上で見たように、現代的な意味における「企業倫理」自体は最近のテーマではあるのですが、現代を生きる我々の企業においてもその企業活動の中核となる「倫理」意識は、かなり古くからあるものと分かります。
ところで、なぜ「商売」にはこうした倫理意識が特に必要になるのでしょうか?
そこには「利潤・利益を得ることへの恐れ」があるように私には思われます。
「商売」というものがいつから始まったかは当然定かではないでしょう。少なくとも最初期の交易方法であった交換経済や贈答経済においては、商売というものは成立していなかったと思われます。(もちろん地域的な差異性に基づいた交換比率の変更による「儲け」があった可能性はありますが。)
その後、交易が盛んになるにつれ、自然発生的に貨幣が使われだしたようです。紀元前1600年頃には中国で貝の貨幣が使用されており、紀元前7世紀にはリディアで鋳造貨幣が始めて作られています。紀元前数世紀のころには、多くの地域で貨幣が流通するようになったと考えられます。当初その多くは対外交易に使用されたと見られていますが、貨幣制度の発達(兵士への給与支払いに貨幣が用いられるなど)とともに地域内での商品交換にも貨幣が使われることになりました。こうした中で、物を売って対価を得る「商売」も成立してきたと思われます。
ただ、農業などのいわゆる一次産業が経済的基盤であった社会において、「商人」という職業の社会的地位は相対的に低く、中国では豪商に対する懲罰的な物語が多く見られたり、日本の身分制度では「士農工商」と意図的に低い身分を与えられたり、ヨーロッパでの「ベニスの商人」におけるシャイロックのように、特に金融業者(ユダヤ人が多かったことにもよりますが)への侮蔑的な見方が強かったようです。
もちろん商業の重要性を認識し、便宜を図った統治者なども多かったですし(日本なら織田信長の楽市楽座とかね)、商人がその財力などで尊敬を集め権力を握ることも多々あったと思います。しかし、一般的な認識としては、「商売」というものに対し少しばかりの「後ろめたさ」を感じていたように思われるのです。
これは、たとえば1次産業に比べ労働集約性が高く(多くの労働を投下した商品を仕入れる)、また地域的な差異性や希少性による労働外の付加価値が付けやすい(珍しいものは高く売れる)といった他の業種に比べ利潤を生み出しやすい(と見えてしまう)商業という業種特有の構造が、圧倒的多数を占める農業従事者からは、「楽で」「ずるい」行為に見えたのではないかと想像します。
こういった感覚って、現代でも感じることってありますよね。ホリエモンや村上ファンドが一世を風靡した時や、一証券マンが納税ランキング1位になった時など、「何だよ、株や書類を左右するだけで大金稼ぎやがって…」って思いませんでした? 私はちょっと思いましたよ。こうした感覚が結構一般的な意識の底流に流れていたからこそ、彼ら(証券マンは除きます)が訴えられたとき、世論は検察に拍手喝采を送ったのではないかと思います。
こうした利潤を生み出しやすい「商売」に対するやっかみを、当然商人たちは敏感に察知していたでしょう。だからこそ「利潤を生み出すこと」への恐れを根底に持ち、辞を低くして信用を得ることを第一と考える商道徳を商人たちが大切にしてきたと考えるのは、少々意地悪すぎるでしょうか?
西洋における「商売」の解放
その後、中世になると為替や紙幣といった信用創造や保障のシステムが整備され、洋の東西を問わずますます商取引が活発になっていきます。しかし、上で述べたような「後ろめたさ」は解消されず、特に西欧においてはキリスト教的禁欲主義のもと、商業は少なからず背徳的色彩を帯びていました。
そんな中、16世紀にマルティン・ルターによる宗教改革が起こります。この改革が西欧社会に与えた影響は多岐にわたりますが、商業上の「倫理」において重要であったのは、ルターが世俗的な労働も修道院で行われるような神から与えられた「天職」であると規定したことです。
詳しいことはM・ウエーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいただくとして(すごく薄いけど、分かりにくい本です!)、簡単に説明しますと、新教(プロテスタント)、特にカルヴァン派は合理的・禁欲的な世俗の労働によって神の国に到れる「救い」が得られると説きました。更に、「神の栄光」は有益な職業労働から生まれるとされ、その有益さはその職業がもたらす「収益性」で測ることが出来るとされました。つまり、宗教改革以前は「後ろめたい」ものであった商業が、逆に「神の栄光」を増大させる「天職」として宗教的権威に裏打ちされたのです。
そりゃー、商売にも精が出ますよね。働けば働くほど、稼げば稼ぐほど「救い」に近づくんですから。こうした状況下で、プロテスタントによる商業は更なる発展を遂げます。特にカルヴァン派の多かったイギリスでは、18世紀に世界で始めてとなる産業革命を成し遂げます。西欧的資本主義の成立です。
近代的企業倫理へ
その後、経済的発展に伴って、商業活動における宗教的色彩は影を潜めていきますが、その企業倫理の根底には宗教から受け継がれた禁欲的・合理的精神が流れています。
また、経済発展によって企業の力が強力なものとなっていくにつれて、企業は様々な社会的問題に対処しなければならなくなります。
産業革命当初は過酷な労働条件の改善、国際的な商取引のルールの取り決めなど。自然権(基本的人権)などの考え方が定着してくると、それらにも対応しなければなりませんでしたし、労働者が資本家に搾取されているという訴え(マルクスなど)も起こります。植民地主義についても時代の流れとともに解消していかざるを得ませんでした。(未だに第三世界からの搾取は完全になくなってはいませんが…)
こうした様々な状況に対応するうちに、自ら醸成されてきた倫理観が「フェアである」ということのように思います。労働者に対し、顧客に対し、原料の供給者に対し、社会に対し、様々なものに対して「フェアである」ことが、近代の西欧企業にとって最も重要な倫理観となっていると思われます。(リーマンショック後の銀行・証券会社の経営陣が多額のボーナスや退職金を手にしたことも「フェア」ではないと強く批判されましたね。)
日本においては、西欧ほど劇的な商業に対する価値観の変化はありませんでしたが、明治期以降、西欧に追いつくことが国家目標とされ、国策として殖産興業が奨励されたことにより、商業というものの有用性が国によって裏打ちされたように思われます。工業・商業(特に外貨を稼ぐ貿易業)は明治期以降の花形産業となり、その身分は江戸時代の「第4番目」から名実ともに解き放たれていったと考えられます。
その後、日本でも60年代の公害問題や長時間労働問題など、企業責任が強く問われる状況が発生し、企業が求められる倫理意識が変化してきました。地域との共存なんて考え方もこの辺りから出てきたんではないでしょうか?
しかし、企業の倫理意識の中核には、江戸時代と同じような「辞を低くして、信用を得る」という思いが受け継がれていると思われます。 逆にまた、それが最も新しい「企業倫理」に対応するものであるように感じられます。
今回はかなりまじめな口調になってしまいましたね。まあ、たまにはいいんでないでしょうか? ちなみに滔々と述べた歴史認識はあくまで私見ですから、あまり信用しないよーに!
さてさて、「昔の話はいーよ! 今の話をしろよ!」と仰る方も多いかと思います。ということで、次回は現代的なCSRの考え(これもアメリカとヨーロッパで微妙に違うみたいっす)や国連が提唱するCSRのあり方なんかを紹介しちゃいます。
それでは、また来月お会いしましょう!
高木 洋
2010-02-25