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企業倫理エッセイ 第1回 「倫理」ってなに?

経営開発・国際委員会 「企業倫理エッセイ」

第1回 「倫理」ってなに?

皆さん、こんにちは!(もしくはこんばんは! もしかしておはようございます!?)

本年度(社)磐田青年会議所 経営開発・国際委員会委員長の高木です。よろしくお願いします。
さて、我々の委員会は磯田理事長の所信に基づいて、地域の青年経済人としての倫理観を養うことが出来るような活動を行っていきたいと考えています。

私たち委員会メンバーも一生懸命勉強して、楽しく分かりやすい「学び」の場を作っていきたいと思いますので、皆さんも気楽な気持ちでご参加いただければと思います。

上に挙げた「倫理を学ぶ場」のひとつとして、毎月倫理に関する様々なトピックを語っていきたいと思います。まあ、こんな倫理意識が欠如している人間の書くことですから、興味本位で読んでいただいてかまわないんですけどね!
とりあえず、はじまり、はじまり~!

「倫理」ってなに?

と言うわけで第一回目なんですが、なんについて書こうかなと思っていたところ、某A直前から「倫理ってなに?」というヒジョーに根源的なご質問を賜りました。

確かにそうですね。この文章でも何の説明もせずに「倫理」「倫理」と書き連ねてきましたけど、私もちゃんと説明できません!(威張るこっちゃないですけどね。)

そこで、こういう場合の常套手段、広辞苑を見てみますと、「人倫の道(人倫とは人と人との秩序関係、転じて、人として守るべき道」「実際道徳の規範となる原理」と書かれています。

なんのこっちゃ!

しょうがないので「道徳」を調べてみると、「ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体」となっています。

うーん、もう少し分かりやすく書いて欲しいですね。

要するに「世間の人が『それはOK!』とか『それはアカンちゃう?』とか判断するときの基準なる考え」ってことになると思います。

「倫理」って絶対的なもの?

こう書くと、「それはいい加減過ぎるんじゃないか? 倫理ってものはもっと普遍的・絶対的なものじゃないのか!」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。

そういった意見ももっともです。善悪の価値基準がコロコロ変わるようでは、我々善良な市民(?)は安心して暮らしていけません。「倫理」と言うものは、人と人とのつながりの強固な基礎であるべきですよね。

でも、一方で、少し考えてみると、時代や地域やその人の属するグループの中で、現在の我々が考える善悪の判断が裏返る例が多々あることに気付きます。

たとえば、一般的には「ウソ」は倫理的に悪いことですが、もしあなたが末期ガンの患者だったとしたら、医師があなたに正直にその病状を伝えることは絶対的に「正しい」ことでしょうか? これについては、色々な意見があると思います。「自分なら正直に言って欲し
い。」「いや、心穏やかに過ごすためにも、病状は伏せておいて欲しい。」など、その人の考え方や状況により意見は割れるでしょう。でも、考えてみれば意見が割れること自体が、そこに絶対的な善悪の基準がないことを示しています。

「ウソも方便」などといいますが、ウソをつくことがどんな状況においても必ず「悪」だとは言い切れないんですね。皆さんもひとつやふたつは「良いウソ」を吐いたことがあるんじゃないでしょうか?ちなみに「良いウソ」と言うと私は、「浮気をするなら、ワタシにばれないように上手にウソをついてね(ハート)」なんて女の子に言われてみたいなーなんて妄想しますけど、こんなカワイイこと言ってくれるコ、どっかにいませんかね・・・

閑話休題、その他にも極端な例では、戦争では一般社会では禁忌である「殺人」が賞賛されたり、戦前の日本では天皇の言うことに従うことが(少なくとも一般市民にとっては)道徳的倫理的とされていたりといったことが挙げられます。所属するグループのカテゴリーや生きている時代によって倫理意識が大きく異なることがお分かりいただけると思います。

こういった例を見ると、「倫理」というものが必ずしも「絶対的で普遍的」なものではないことがはっきりすると思います。「倫理」は法律のように凝り固まった価値基準の体系なのではなく、その時代その社会の状況に即し変化していく柔軟な価値の体系なんです。

「倫理」っていいかげんなもの?

ただ誤解して欲しくないのは、だからといって「倫理」というものが、全くあやふやで根拠のの無いいい加減なものというわけではないと言うことです。

広辞苑の定義にもあるように「倫理」とは「ある社会で、(中略)一般に承認されている規範の総体」です。つまり、持続している社会において、「倫理」はその社会が長年に渡って育んできた、歴史的文化的に連続性をもった社会通念(規範)をバックボーンにしています。

そして、それが変化していくにしても、その変化は社会全体の変化に即したゆっくりとしたものであり、その社会の成員の多くに承認されるような基準となるはずです。

このように、「倫理」は根拠のないあやふやなものではなく、逆に「社会」という私たちが形作る実体に立脚した現実的なものであり、またその「倫理」が実体である「社会」のあり方を緩やかに規定していくといった関係にあるのだと思います。

なんか、えらく哲学的な物言いになってしまいました。要するに「倫理ってのは、絶対不変のものじゃないんだよ。でもちゃんと社会に則ったしっかりした規範なんだよ。」ってことです。(だったら、最初からそう書けよって突っ込みが聞こえてきそうです・・・)

私たちに必要な「倫理」って?

さて、というわけで、私たちが向き合うべき「倫理」というのは、私たちが属している「現代の社会」に即した「倫理」、もっと言うと、我々が属しているカテゴリーである「企業の倫理」となるのですが、社会というのは生き物みたいなものなんで、時代や状況によって刻一刻と変化しています。

最近では「グローバル化」や「環境(エコ)意識」といったものが、社会通念として定着してきていて、そういった要請にしたがって、社会のあり方、ひいてはその社会の中にある企業の「倫理」観も変化してきたように感じられます。私たちとしては、当然この変化しつつある「倫理」に対応していかなくてはなりません。

そこで、次回は現状の世界的な「企業倫理」のあり方の変化を学んでいきたいと思います。
来月またお読みいただければうれしいです。

※このエッセイのご意見・ご感想などを、メール・FAX・面と向かって罵倒などの手段でお送りいただけると幸いです。

高木  洋

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2010-01-25